名僧紹介 良寛(りょうかん)さん 坊さんのどうでもいい雑学
良寛さんは江戸時代後期(1753〜1831)の曹洞宗のお坊さんです。
越後(新潟県)の人。
個人的な印象では新潟の方は信心深いと思います。
名主の子供に生まれましたが18歳でいきなり出家。
子供の頃に勉強を学んだ地元の寺で修行の後、岡山県でさらに修行。
岡山で12年の修行の後、48歳に新潟に帰り五合庵と名付けた粗末な家に定住する。
五合庵とは「一日五合の米があれば他には何も望まない」と名付けた。
生涯清貧のお坊さんで書・和歌の名人。
一日中子供たちと鞠付きで遊んでいたというエピソードが印象に残っています。
一休さんもそうですがこうやって庶民と共に生きたお坊さんは昔から人気があります。
生涯寺を持たず、庶民に慕われ、仏の教えを広めて質素に暮らしたそうです。
まあ清貧も実際は大変ですが。
居間の床下に筍を発見した良寛は筍が伸び伸び成長できるように床板を取り除いてやったというエピソードが有名です。
また、地元で大きい地震があったのを心配した友人が手紙をよこした時に
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」
と返事した。
さすがに良寛和尚の悟りがここに伺える。
「病気、老衰、苦痛が妄想にすぎないことを自覚すれば、それらはすぐ消える」、すなわち、実在論(人間の外にものが実在する説)は妄想にすぎないと自覚すれば、実在は消える。つまり、「欲望は実在しない。それは妄想にすぎない」ことを自覚すれば、一切の煩悩は消え、解脱して「涅槃」にいる。
まとめ
このシリーズ続けていきたいです。ありがとうございました。
私説 宗教入門 坊さんのどうでもいい雑学
ついつい私はみなさんに一定の宗教理解があると思ってブログに書いてしまうのだが私だって仏教以外は詳しくは無い。
今回は宗教の基本をおさらいしてみよう。
なお、宗教というのは非常に難しいのでざっと私なりの解釈(私説)でまとめてみた。
なぜ宗教が必要なの?
まず、この問いが日本人らしい考えで宗教が全くわかってない証拠。
キリスト教で言えば最初に神がある。キリスト教というのは神であるイエスの教えである。何よりもまず神が先にある。神が説いた神の命令、すなわち法がある。
これが「神前法後」という構造。世界は神が作ったものであり神がなければ世界も存在しない。宗教があるのは当然のことなのである。
つまり宗教はもともとあるものなのです。
これと逆に仏教は「法前仏後」
仏教でいう「法」(ダルマ)というのは客観的に存在していたものであって、行為の規範を示し、慣例、風習、義務、法律、真理、教説など、さまざまな法則を指している。
自然法則も超自然法則も釈迦が発見して衆生に伝えたのであるから、釈迦が発見しようとしまいと「法(ダルマ)」というのは厳然としてそこにある。だから釈迦の教えが正しいのは、本当の法を発見したから正しいのであり、釈迦自らの教えだからでは無い。
啓典宗教(けいてん)
これはイスラム教徒による宗教分類であるが便利な分類。
宗教には啓典宗教とそれ以外がある。
「啓典宗教(revealed religion)」とは啓典(正典=canon.kanon.)を持つ宗教。
仏教、儒教、ヒンドゥー教、道教、法教(中国における法家の思想)などは啓典宗教ではない。
「啓典」とは、最高経典のことである。
「啓典」は、絶対であるか、ほとんど絶対である。
イスラム教における『コーラン』(クルアーン)、キリスト教における『福音書』(『新約聖書』の「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の四福音書)、ユダヤ教における『トーラー』(モーセ五書。『旧約聖書』の最初の五巻。すなわち、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」)は啓典である。
簡単にいうとユダヤ教が「旧約聖書」、キリスト教が「旧約聖書、新約聖書」、イスラム教が「旧約聖書、新約聖書、コーラン」を重んじており、イスラムではモハメッドが最後の「預言者」でありコーランが一番新しい「神との契約」であり「一番正しい」と考えている。
もちろん旧約聖書というのはキリスト教など他の宗教からみた言葉。
啓典宗教は、存在論、すなわちオントロジー(ontojogy)に貫かれている。啓典宗教であるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教においては、神の存在が最大の問題なのである。
キリスト教の神学テキストなどには「神の存在の証明」にとても膨大なページが割かれているそうです。
この「新約」「旧約」というのは「神との契約」ということで、この契約は神からの一方的な契約で旧約聖書では契約を破ると神はイスラエルの民を鏖(みな殺し)にしようとしてモーセの必死の説得によって思いとどまっている。
神からの言葉を預かるから「預言者」というが預言者にはなんの資格もなく産まれる前から預言者に指名されていた者もいる。これを「予定説」という。
ちなみにユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ神様を信じており、またイスラム教でも、アラブ人の先祖は、アブラハムの子イシュマエルとしている。
アブラハムはイスラエル人の祖でありイスラエル宗教の原点である。
まとめ
以上で多少は宗教についてお分りいただけただろうか?もちろん私の勉強も十分ではない。
ハワイなどで教会で結婚式をあげるときに宣誓をするが誰に誓ってるのか?
答えは「神に誓っている」のであって妻、夫に誓っているのではない。だからカトリックでは基本的に離婚を認めない。「神との契約だから」
欧米が契約社会というのは皆さんご存知と思うがここから来ている。
イングランドのヘンリー8世が離婚したいためにカトリックからプロテスタントに改宗したのは有名な話。
。
またアメリカ大統領の就任式で宣誓の時に聖書に手を置いて宣誓しているのは皆さんご存知だろうか?
yahooニュースより。
アメリカの田舎に行けばまだほとんどの人が聖書の内容をそのまま「事実」として信じているという。水上歩行も死者の復活も。
進化論を信じる人が過半数越えということは残りの人々はまだ「神が人間を造った」と信じているのである。合理的精神を標榜するアメリカでさえこれが現状だ。
海外で「無宗教」というと共産主義者かかなりの「何をしでかすか分からない」変わり者とされるそうです。
基本的に宗教は「生きている人間のもの」である。
入院時にあると便利な物 坊さんのどうでもいい雑学
先日3週間ほど入院したことをブログでも書きましたがなかなか不自由でした。
そんな時のお役立ちアイテムをご紹介します。
マウスウォッシュ(リステリン)
いきなりの入院だったので友人が買ってきてくれました。今でも使ってます。
入院時に一週間点滴をしていたため歯磨きが難しく重宝しました。
トータルケアのものが良いと思います。
ウェットティッシュ
これも友人が買ってきてくれ今でも使っています。
ちょっと口の周りを拭いたりパソコンを拭いたり大活躍でした。
実は食事で使ったスプーンを拭いたりもしてました(笑)。あまり同室の人と会いたくなくてトイレの流しで洗うのが抵抗ありましたので。
特にお腹が痛くなったりとかなかったと思います。
うがい薬
これは病院で先生に出してもらいました。
3月に入院していたのですが病室は暖房過多でとても乾燥していたので咳が出ました。
他にも患者さんいるので夜に咳出ると周りに気を使います。飴を舐めるのも先生に禁止されてましたので・・・。
これも今でも使っています。
パソコン(MacBook)
ちょうど入院の前の週に東京の中古屋さんで買いました。
買い替えを考えていたらホテルの近くに「じゃんぱら」があって行ってみたら高スペックの掘り出し物があったので購入。入院当日も東京に遊びに行くつもりでバッグに入れていたので院長に許可をもらって使ってました。友人にダウンロードしてもらった映画など観ました。また慣れてきたからネットの配信サイトを観ていましたが特別な注意はありませんでした。
またMacBookは
「若い看護師さんにとても人気でした!!!!!」
「若い看護師さんにとても人気でした!!!!!」
大切なので2回言いました。
「これかわいいですよね〜!」とお忙しい中話しかけていただきました!!
これは男女問わずでした。もちろん今でもHeavy useです。軽いのでどこにでも持って行けますね!
皆さんも入院のお供には是非MacBookを!!
入院しないのが一番ですけどね(笑)
読書感想 日本人のための宗教原論 小室直樹 徳間書店
この本17年ほど前に買ったのですが無くしてしまったようでまた購入。
当時は夢中になって読んだものでした。
著者は京大卒で東大法学博士の奇人。
立川談志が尊敬した「大先生」です。
一時期テレビに出ていた宮台真司の学問上の師匠。
著書「ソビエト帝国の崩壊」で10年以上前にソ連の崩壊を予言していたことから注目を集めました。
彼によれば日本人は「宗教音痴」でありそのため「宗教」がどういうものか分からない。その為、外国人の行動が理解できない。
一般的に日本以外では人々は「宗教」に基づいて行動するものであり、そこが理解でき無いとコロンブスやマゼランが現地民を大虐殺した理由など解らない。
この本はもちろん「仏教」についても説明されている。一部紹介したい。
第4章【仏教】は近代社会の先駆けだった
この本は非常に難しいのでちょっと気になったところだけ紹介したい。
仏教で一番重要なのは「悟りを開く」とこである。
先祖供養や親孝行することでは無い。
悟りを開くということは非常に難しく、お釈迦様でさえ何度も生まれ変わり善行を積んで悟ったと言われている。逆に言えば「悟り」の為には生まれ変わり「輪廻」も存在する。なぜなら「必要だから」。
では何が生まれ変わるのか?みなさん誤解されているが仏教では「魂」の存在は認めない。「絶対に」である。そんなものを認めた途端にその仏教は「偽物」になってしまう。仏教では全ての物は「諸行無常」であり「諸法無我」である。
「絶対的な物」など存在しない。全ては「縁起」によって存在し、「実体が無い」。
全てのものは「仮に」存在していている。
「色即是空 空即是色」
色」は、サンスクリット語ではルーパで、目に見えるもの、形づくられたものという意味で、それらは実体として存在せずに時々刻々と変化しているものであり、不変で実体はなく、すなわち「空」である。
では魂が無くて何が「輪廻」するのであろう?答えは「阿頼耶識(あらやしき)」である。今風に言えば「無意識」。
(仏教で高僧が魂というときは解りやすくするための「譬え」です。神道では魂があり、魂は永遠です)
しかし阿頼耶識でさえ「時に生じ時に滅する」ものであって実体があるものでは無い。
このことは「般若心経」にも書いてあり「不生不滅」「不垢不浄」「不増不減」とある。阿頼耶識自体は「生じることもなく滅すること」もなく「汚れてもなく清らかでもなく」「増えたり減ったりもしない」。とある。
阿頼耶識自体は善でも悪でも無い。
この世の全ては「有であって有でなく無であって無でない」というのが般若心経の教え。
ちなみに「摩訶般若波羅蜜多心経」は三蔵法師(玄奘三蔵)がインドのサンスクリット語から翻訳したと言われています。仏教哲学の精華(結晶)がここにあります。
仏教では「六道輪廻」と言って人間は六つの世界を生まれ変わると説かれています。
天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つ。
この六つの「苦しみに満ちた世界」を行ったり来たりします。「天界」ですら苦しみがあるのです。この苦しみの生まれ変わりの輪廻を抜けることを「解脱」と言います。
悟りを開けば解脱できる、楽になれるというわけです。
天界にも苦しみがある
ここで大切なのは天界にも寿命があるということです。苦しみがある。
仏教では神様、天人(天界に住む人)にも寿命があります。
帝釈天も四天王も梵天(ブラフマン)も悟ってはなくて輪廻の苦しみからは逃れられません。悟っていないから煩悩もあり汚れもあり、利己心もあります。
仏教では悟りを開いた人が神より上位です。
仏教は魂を否定する
自我は存在するのか、自我の存在をいかにして確かめられるか、これは古来より、哲学の大問題であった。インドの一般哲学者は自我(アートマン)の存在を承認して いるが、仏教では、その存在を否定した。
・・・人間には、「われ存在す」という自覚のあることが認められていたが、それは〈われ〉が実在することを証明するものではなくて、迷妄にすぎないと考えた。諸々の煩悩が起こるのは、「われ存在す」という思いが根底に存在するからであるというのであった。
・・・だから仏教によると、「われが存在する」という自覚は断ぜられるべきものなのである。それは我執のもとであるからである。
(中村元、インド思想の諸問題から引用。春秋社)
これが仏教の蘊奥(奥義)である。
中村博士はサンスクリット語・パーリ語の大家で仏典の解説や翻訳など著書多数です。
まとめ
天上の神や天人の寿命は一番短くて900万年。それでもやはり老衰もある。
三島由紀夫の小説豊饒の海4部作の4巻「天人五衰」とは「天人が命尽きんとするとき表れる五種の衰亡の相」から来ている。
よくツイッターで「坊さんなのに煩悩にまみれている」とご指摘いただく僕ですが天上の神々さえ煩悩があるのに現世の坊さんに煩悩があるのは当然ではないかと思ってしまう。煩悩がなくなったら欲も無く人間の3大欲求も無くなってしまう。そうなったら死んでしまいます。
もちろん欲望をコントロールして精進することは必要ですが。
阿頼耶識、唯識については難しいのでまた勉強し直して次の機会に書きたいです。
2016 11月にバンコク・アジアティーク・リバーフロントに行きました
去年アジアティーク・リバーフロントに行って来ました。
某旅行記サイトで知ったのでメジャーとばかり思っていましたが皆さん意外と行かれないようで(笑)。
なかなか異国情緒があって面白いと思います。
去年2ヶ月に一度タイに行っていたら母に「タイシルクくらいお土産に買って来なさい」と言われましたのでタイシルク探しの旅です。
BTSスクンビット駅からサパーンタクシン駅を目指します。42B。
サイアム駅で乗り換え。
ここまで10分くらいだったかな?
サパーンタクシン駅に到着。
2番の出口から出ました。この近くにマッサマンカリー名店「クイーンズカリー」があるらしいです。
船着場です。ここからアジアティークまで無料の船があるそうなのですがちょっと分かりませんでした。ここを右に行きました。
20B 60円ほどでした。チャオプラヤー河を通ります。
20分ほど待ちました。船着場のお兄さんが乗る船を教えてくれました。
この船を横断して向こう側の船に乗りました。
これの向こうです(笑)。
乗るとチケットを集める人が来ます。
結構水が跳ねて来ます(笑)。
なかなか良い雰囲気ですがお一人様です(笑)。
5分ほどで見えて来ます。
本当に近いです。
着きました。
すっかり夜でした。
あれ?おんなじお姉さんが写ってるwww
結構日本食がありました。
ここでお目当のタイシルクを4枚購入。ここは無地のものだけ。
この後、他で柄ありのものを3枚ほど購入。1枚2500Bほどでした。
アラブ人風のかなり怪しいオジさんでした。
こんな感じでした。高いのか安いのか・・・。
向こう側に抜けるとパントマイム?の人がいました。最初気づかず気配で振り返るといました(笑)。全然動きません。何人かがチップを払うと動き踊ってくれました(もちろん男性)。
マンゴー・タンゴーを探していたらドリアン屋さんを発見。
マンゴーシェイク89B。270円くらい?せっかくとチャレンジしましたが匂いがきつく半分飲んだところでギブでした。
観覧車がありましたがお一人様なので見ただけ。
あ、あれ?お兄ちゃん!!!
ようやく有名なMANGO TANGOを発見。小さなお店ですね。
中は混んでるので外で食べました。
店員さん少し日本語が分かります。マンゴープリン。
ちょっといくらか忘れました。高かったような。
念願のMANGO TANGOで口直し。
この後、帰りの船乗り場が分からず、バス乗り場でバスの値段、行き先も分からずバス停の人に話したら100Bでトゥクトゥクを拾ってくれました。
まだ21時くらいだったのでまたサパーンタクシン駅からBTSで帰りました。
暑かった・・・。
あとがき
てっきりアジアティークメジャーと思ってました。観光地ですよね。
お土産になりそうなもの沢山ありました。
タイシルク買えて良かったですが怪しいお店もあり、やっぱり外国、注意が必要ですね。
タイシルクの相場っていくらくらいなのだろうか・・・?
サパーンタクシン駅傍のクイーンズカリーも行ってみたいですね。美味しいらしいです。
読書感想 マンガでわかるブッダの教え 宝島社
先日いつものコンビニでこの本を見つけ、購入しました。
コンビニには自己啓発書や宗教系の本がたまにありますが正直玉石混交と思います。
パラパラと立ち読みしてみて購入しました。
5章まであります。最初イマイチと思いましたが4章から「いいこと書いてあるな」と思いました。
半分マンガですから読みやすいと思います。
お釈迦様の基本的な教えが書いてあります。
残念ながら著者がわかりませんでした。色々な本を参考に書かれたようですが良いと思いました。
表紙に「あらゆる悩みが消える」とありますがどうでしょうか?(笑)。
この本に触れて少しでも視野が広くなって「自分の心と向き合う」ことができたらあらゆる問題の答えは、「あなたの中にあります」。
まとめ
自分の世界は広く持ちたいですね。世の中は広い。
実録! 坊さん修行24時暴露!!(長いかも?) 坊さんのどうでもいい雑学
今回はリクエストの多かった僕の坊さん修行時代の一日を紹介したいと思います。
ちょっとした暴露もしてみたいと思います!?
どんな一日か見てみましょう。
朝4時起床・トイレ・洗顔
夏・冬で多少前後がありますがだいたい4時ごろに起こす係の人がいて起こされます。
修業中は色々な役割があり役割によってはもっと早く起きます。
15分くらいで布団を畳んでトイレ・洗顔を終わらせます。そして衣に着替えて袈裟をつけます。
4:15〜
一時間半ほど朝の読経です。朝のおつとめですね。
本堂や韋駄天前・観音堂などで読経です。もちろんこれは練習を兼ねていてすごく長いお経を高速で読んだりします(笑)。朝から気合の入った先輩が監視していて寝ていると気合を入れられます。(暴力ではないです)
終わってしばらく坐禅。基本30分ぐらいでした。
6時前くらい
朝食です。おかゆをいただきます。無音で無言です。基本的に常に私語は禁止ですね。
食事前にはまたお経を読みます。
おかゆに昆布の佃煮、梅干し、たくあんって感じです。梅干し、たくあんは自家製ですね。自分たちで作ります。たくあんも音を立ててはいけないので奥歯で少し噛んで飲み込みます(笑)。
冬はかじかんだ手で箸が持てませんでした(笑)。
6時半くらい
着替えて境内の掃除です。
僕の修行していたお寺は有名な観光地だったので地元の人の散歩コースでした。
また写真を撮りに来ている方も多かったです。
近所の方々とご挨拶しながら竹箒を使っていました。
京都のお寺などでは毎日托鉢があります。昔はお米をいただきましたが最近は現金が多いです。野菜をいただくこともあります。
9時ごろ
改めて朝のお茶。ちょっと休憩です。ほうじ茶を飲みながら頂き物のお菓子をいただきます。先輩から一日の予定の説明や諸注意などがあります。
10時ごろ
引き続き境内の清掃、庭木の伐採、薪割りなどがあります。今だに薪でご飯やお風呂を炊きます。庭木を剪定したり枯れた木を切り倒したり。自分たちでチェーンソーで切ります。時期によってはたけのこ掘り、垣根、塀を作ったりしました。
11時過ぎ
お昼です。私たちの場合頂き物のうどん、そうめんがたくさんあるので毎日麺でした。
食事係の人が毎朝必ず出汁を取っていてそれを使います。昆布や椎茸の出汁です。
醤油で作った濃いめの麺つゆに海苔、ゴマ、余った天かすなどでいただきます。
麺なら手早くできますし食べるのも早いです。麺類だけは音を立てて食べられます(笑)。
食べ終わったらお昼休憩です。
お昼休憩
この時間一番やることは洗濯です。もちろん自分のものは自分でやります。
着物や下着、足袋など。近所からもらったお下がりの洗濯機がありました。
びっくりしたのは先輩の褌が干してありました。白いやつ。
または調べ物、読書。漢詩を作ったこともありました。
足袋は正式な行事など特別な時しか履きませんでした。が、溜まってしまいました。
天気の良い日しか洗濯できませんからね。
13時ごろ
午後の作務(作業)です。午前中の続きをしました。
池さらいをしたり。秋は紅葉の木が沢山あるので大変でした。
また、境内の建物の掃除、雑巾掛けをしました。国宝の建物を雑巾で拭きました(笑)。
いくらでもやることがあります。田舎のお寺は庭掃除、京都のお寺などではずっと坐禅です。庭掃除も重要な修行で庭掃除をしていて悟りを開いた有名なお坊さんもいます。
もちろんトイレ掃除などもやりました。
また苔の生えているところは手作業で雑草を取りました。
15時ごろ
おやつ休憩です。ひと休み。お寺は沢山お菓子をもらいます。
特に地方の有名なお寺だったのでよく信者さんやお坊さんが来ましてお土産を持って来ますので悪くならないうちにいただきます。
内緒ですがコーヒー派の人もいました(笑)。インスタントコーヒー・缶コーヒーを差し入れでいただくこともありました。
15時半ごろ
作務再開です。畑作業をした日もありました。小さな畑があってトマトやキュウリを作っていました。肥料、草取りから自分たちでやりました。
17時半ごろ
晩御飯です。
薪で炊いたご飯をいただきます。もちろん精進料理です(笑)。
畑だけでは足りないのですが近所の農家さんからいつも沢山の野菜の差し入れがありました。
ありがたかったです。また篤志家の方からの大量の炊き込みご飯のお布施もありました。
18時半ごろ
毎日ではありませんが入浴です。当番の人が薪で炊いたお風呂に入ります。
お風呂ももちろん会話禁止です。
以前、「トイレの神様」という歌がありましたがお風呂にも神様(仏様?)がいて拝(五体投地)をしてから入ります。出るときも拝をします。
石鹸とタオルしかなくバスタオル?なにそれ?って感じです。
お風呂の後は少し休憩です。
21時
消灯時間です。寝る前のお経を読んで就寝・・・なのですが「夜坐」というものがあり本堂の縁側など屋外で坐禅です。30〜40分ぐらいでした。もちろん先輩の監視付きです(笑)。
このあとまた調べ物などをして寝ます。一日中作業をしてクタクタ。精進料理ばかりなのであまり元気がありません。
翌日また4時起きなのでさっさと寝ます(笑)。柏布団というものがありそれに包まって寝ます。
まとめ
正直、よくこんなスケジュールやってたな、という感じです。
若いからやれたという感じです。
先輩も厳しかったので大変でした。しかし良い経験をしました。
学生時代もそうでしたが炊事、洗濯など基本的には自分のことは自分でやっていました。そういう意味でも修行ですね。お坊ちゃん育ちだったので鍛えられました。
色々なことを教わりました。
また、修行時代は先輩も後輩も「さん」付け。呼び捨てはありませんでした。
上下関係が厳しいので理不尽なこともありましたが今は感謝しています。