名僧紹介 今東光(こん とうこう)
こんにちは。
今回は今東光(こんとうこう)さんをご紹介します。
私たち40代よりちょっと上の世代の方が良くご存知の最近のお坊さんです。
今東光(法名 春聽 しゅんちょう
うちの本堂に今東光さんの大きな書があります。
「懈怠の比丘明日を期せず」(けたいのびくみょうにちをきせず)と読みます。
これは千利休の孫の千宗旦(せんのそうたん)のエピソードから来ています。
千宗旦が小さな茶室を作った時に参禅の師である大徳寺の清巖和尚(せいがん)に命名を頼もうと招待しましたが約束の時間に和尚は来ませんでした。
時間が過ぎたので宗旦は出かけてしまい、弟子に「もし来られたら明日また来られるように申しあげて」と伝言しました。
間も無くやって来た和尚は伝言を聞いて茶室の壁に「懈怠比丘不期明日」と書き残しました。
これは「遅刻するような怠け者の僧である私は明日の事はお約束お約束しかねます」という意味です。
これを見た宗旦は大徳寺を訪れて「明日の命もわからないのに、大切な「今日」をおろそかにして暮らしているのは愚かな事でした」という意味の歌を和尚の前で詠んで反省しました。
私が忙しければあなたも忙しいのに呼びつけるような真似をしてすみませんという意味があったかと思います。
茶道をやる方には有名な禅語らしいですが天台宗の僧である今東光がすっと禅語を選ぶ辺り教養の深さを感じます。
元々は作家
今東光は明治31年(1898)から昭和52年(1977)まで活躍したお坊さんで元々は作家でした。
後に直木賞も取っている売れっ子作家です。
1927年に芥川龍之介が自殺してから出家を志したと言われています。
出家してから派遣された大阪河内の天台院で出会った人をモデルに『悪名』という小説を書き上げ、これは後に勝新太郎出演で映画化され大ヒットしました。当時映画は最高の娯楽でした。
天台宗で出家してからは様々な勉強もして試験を受けてあちこちで住職をしています。とてもパワフルな方と印象を受けました。
僧正となってからは岩手平泉の中尊寺の管主にもなり復興に尽力しました。
その後、「出家したい」とやって来た作家の瀬戸内晴美 をすぐに引き取って出家させ自分の名前を取って「寂聴」の名を与えました。
晩年まで多数の著作を残し、またテレビのコメンテーターとしても有名でした。
今のテレビでは使ってもらえないでしょうね(笑)。
晩年にはいくつもの病気に悩まされて79歳で亡くなりました。
多数の作家仲間に幅広く慕われていたようです。
まとめ
私の祖父が地元の中学校の教師をしていた関係で元の教え子の方がわざわざこの書を貰って来てくれ当寺に寄付して下さいました。
その方は有名な「悪童」で祖父は彼を追っかけ廻して学校の外にまで飛び出すこともしばしばだったそうです。
昔はそのような子供が多かったですが 親御さんも教師を信頼し教師も落ちこぼれを見捨てない良い時代でした。
祖父もそのような子供の事は晩年まで良く憶えていました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。