私説 宗教入門 坊さんのどうでもいい雑学
ついつい私はみなさんに一定の宗教理解があると思ってブログに書いてしまうのだが私だって仏教以外は詳しくは無い。
今回は宗教の基本をおさらいしてみよう。
なお、宗教というのは非常に難しいのでざっと私なりの解釈(私説)でまとめてみた。
なぜ宗教が必要なの?
まず、この問いが日本人らしい考えで宗教が全くわかってない証拠。
キリスト教で言えば最初に神がある。キリスト教というのは神であるイエスの教えである。何よりもまず神が先にある。神が説いた神の命令、すなわち法がある。
これが「神前法後」という構造。世界は神が作ったものであり神がなければ世界も存在しない。宗教があるのは当然のことなのである。
つまり宗教はもともとあるものなのです。
これと逆に仏教は「法前仏後」
仏教でいう「法」(ダルマ)というのは客観的に存在していたものであって、行為の規範を示し、慣例、風習、義務、法律、真理、教説など、さまざまな法則を指している。
自然法則も超自然法則も釈迦が発見して衆生に伝えたのであるから、釈迦が発見しようとしまいと「法(ダルマ)」というのは厳然としてそこにある。だから釈迦の教えが正しいのは、本当の法を発見したから正しいのであり、釈迦自らの教えだからでは無い。
啓典宗教(けいてん)
これはイスラム教徒による宗教分類であるが便利な分類。
宗教には啓典宗教とそれ以外がある。
「啓典宗教(revealed religion)」とは啓典(正典=canon.kanon.)を持つ宗教。
仏教、儒教、ヒンドゥー教、道教、法教(中国における法家の思想)などは啓典宗教ではない。
「啓典」とは、最高経典のことである。
「啓典」は、絶対であるか、ほとんど絶対である。
イスラム教における『コーラン』(クルアーン)、キリスト教における『福音書』(『新約聖書』の「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の四福音書)、ユダヤ教における『トーラー』(モーセ五書。『旧約聖書』の最初の五巻。すなわち、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」)は啓典である。
簡単にいうとユダヤ教が「旧約聖書」、キリスト教が「旧約聖書、新約聖書」、イスラム教が「旧約聖書、新約聖書、コーラン」を重んじており、イスラムではモハメッドが最後の「預言者」でありコーランが一番新しい「神との契約」であり「一番正しい」と考えている。
もちろん旧約聖書というのはキリスト教など他の宗教からみた言葉。
啓典宗教は、存在論、すなわちオントロジー(ontojogy)に貫かれている。啓典宗教であるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教においては、神の存在が最大の問題なのである。
キリスト教の神学テキストなどには「神の存在の証明」にとても膨大なページが割かれているそうです。
この「新約」「旧約」というのは「神との契約」ということで、この契約は神からの一方的な契約で旧約聖書では契約を破ると神はイスラエルの民を鏖(みな殺し)にしようとしてモーセの必死の説得によって思いとどまっている。
神からの言葉を預かるから「預言者」というが預言者にはなんの資格もなく産まれる前から預言者に指名されていた者もいる。これを「予定説」という。
ちなみにユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ神様を信じており、またイスラム教でも、アラブ人の先祖は、アブラハムの子イシュマエルとしている。
アブラハムはイスラエル人の祖でありイスラエル宗教の原点である。
まとめ
以上で多少は宗教についてお分りいただけただろうか?もちろん私の勉強も十分ではない。
ハワイなどで教会で結婚式をあげるときに宣誓をするが誰に誓ってるのか?
答えは「神に誓っている」のであって妻、夫に誓っているのではない。だからカトリックでは基本的に離婚を認めない。「神との契約だから」
欧米が契約社会というのは皆さんご存知と思うがここから来ている。
イングランドのヘンリー8世が離婚したいためにカトリックからプロテスタントに改宗したのは有名な話。
。
またアメリカ大統領の就任式で宣誓の時に聖書に手を置いて宣誓しているのは皆さんご存知だろうか?
yahooニュースより。
アメリカの田舎に行けばまだほとんどの人が聖書の内容をそのまま「事実」として信じているという。水上歩行も死者の復活も。
進化論を信じる人が過半数越えということは残りの人々はまだ「神が人間を造った」と信じているのである。合理的精神を標榜するアメリカでさえこれが現状だ。
海外で「無宗教」というと共産主義者かかなりの「何をしでかすか分からない」変わり者とされるそうです。
基本的に宗教は「生きている人間のもの」である。