名僧紹介 隠元隆琦(いんげんりゅうき) 坊さんのどうでもいい雑学

前回の良寛さんは前から紹介したかったのですが意外と二人目は誰にしようか悩みました。今回は隠元さん。

 

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江戸時代初期に中国から来た帰化僧で宇治の萬福寺(まんぷくじ)を開いたとして有名です。

 

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萬福寺 - Wikipedia

 

萬福寺といえば本場の中華風普茶料理(ふちゃ料理 精進料理の一種)がいただけることでも有名です。

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この右下のものは「擬うなぎ」と言って精進料理としてはメジャーで僕も修行時代に作りました。

www.obakusan.or.jp

 

萬福寺のふちゃりょうりで満腹寺?で覚えやすいですね(笑)

 

萬福寺黄檗山(おうばくさん)萬福寺といって黄檗宗(おうばくしゅう)の本山になっています。もちろん隠元禅師は大変に優秀な僧でしたが江戸時代にはすでに「檀家制度」がしっかりと出来上がっていましたので「黄檗宗」の入り込む余地はあまりありませんでした。そのため禅宗の中でもあまり知られていません。

 

しかし、あまりに優秀で徳の高いお坊さんだったので既存の本山が隠元禅師を住職にしようとしたと記録にあります。そして当時の幕府はその勢力を大変恐れたようです。

 

鎌倉時代禅宗は中国は「南宋」時代でしたが隠元の頃の中国は「明」時代です。このため黄檗宗のお経は発音などが微妙に違い面白いです。

 

もちろん他の禅宗と元は同じでしたがお経の読み方、儀式の作法などが違ったので別物とされました。

 

隠元隆き - Wikipedia

 

そして皆さん気づかれたと思いますが隠元さんの名前は「インゲン豆」の名前の由来と言われています。

 

隠元が来日した際に日本に持ち込んだため、その名が付いたとされる「インゲンマメ」は、中南米原産のマメ科の作物。ヨーロッパに伝わった後、ユーラシア大陸を横断して中国から日本に伝来した。但し、隠元が持ち込んだのは、現在の「フジマメ藤豆)」だという説もあり、関西ではフジマメのことを「インゲンマメ」と呼ぶ。

                           wikipediaより

 

黄檗とは黄蘗色(きはだいろ)のことで昔は虫除けの効果があるとしてお経の本などがキハダで染められてました。今でもお経の本は黄色の紙を使っています。鮮やかな黄色です。

 

まとめ

隠元さんは中国でも黄檗萬福寺の住職で日本に招かれました。弟子を20人連れて来たと言われています。もちろん日本にまで名前が知られてたとても優秀な方です。

平安・鎌倉時代に中国に渡ったお坊さんももちろん当時の「エリート中のエリート」でした。仏教は学問でもあったわけです。

 

当時は中国の最先端の文化を持ち込むという意味もありました。お茶を飲む習慣なども鎌倉時代中国から伝わりました。

同時に中国独特の宗教観や考え方、風習なども伝わり日本の常識になりましたがこれは元々の仏教とは関係ないお話も多いです。

 

読んでいただきありがとうございました。

お盆について 坊さんのどうでもいい雑学

七月の下旬からうちの寺墓地にもお墓掃除の方が増えてきました。

今回はなんとなく分かってるお盆について簡単に。

 

お盆は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい中国で成立したお経が元になっていると言われています。

お釈迦様の十大弟子の一人と言われる「木連尊者(もくれんそんじゃ)」が亡くなった母が天界で元気にしているかと千里眼で見てみると居なく、「餓鬼道」を覗いてみると見つかり、喉を枯らし飢えて居たので食物を与えようとしたが火になってしまい届かない。そこでお釈迦様に相談すると「お前のお母さんはお前に取っては良い人だったが他人にはそうでは無かったので餓鬼道に落ちた。お坊さんを大勢集めて食べ物を施せばその一端が母にも届くであろう。」と仰ったのでその通りにしたら母にも行き届いた。と、言われています。

 

昔から中国で親孝行にやかましかったのは皆さんご存知と思います。それが日本の祖先崇拝と結びついたと思います。

東京など都心部では7/15日、田舎では8/15日になっています。

元々は旧暦で7/15日ですが今だと8/15日が近い。

 

うちのお寺でも少し前まで檀家さんを集めて御膳を作って参拝者に振舞っていました。

昔は食べられない人が多かったですからね。誰がきても区別なくおもてなししようというわけです。お彼岸にも振舞っていました。負担が大きいということで止めてしまいました。最近ではパンとお茶を振舞っているお寺もあります。

 

中国では死者は「魂魄」(こんぱく)と言って「魂」と「魄(はく)」の二つに別れると考えています。だから死者はお墓と天界と両方にいると考えお墓参りは矛盾が無いと思います。(魂は精神を司どり天に昇り魄が地に帰るとされていてお墓にいると考ます。)

それと8月15日は終戦記念日でもありますね。今ある平和を噛み締めてはいかがでしょうか?

 

まとめ

以前ブログにも書きましたが仏教では「魂」は認めませんが全く何も無いかというとそうでは無い。亡くなった身内は今でもそばにいる気がします。

お盆に改めて故人を思い、お墓を綺麗にする。普段忙しいからそういう時間も必要と思います。

昔の人々の努力のおかげで私たちはいます。

 

個人的にはこの時期お天気が荒れる印象なので旅行は控えて欲しいです。

ありがとうございました。

キリスト教についてまとめ 坊さんのどうでもいい雑学

 

宗教を語るうえで避けて通れないのが世界最大の信者数を誇る「キリスト教

皆さんご存知ないかもしれないがキリスト教もまた多数の「派」に別れている

別れているということは「考え方が違う」ということである

しかしキリスト教は難しい。「分かりにくい」ともいえる

僕なりにまとめてみたい

 

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行為ではなく、すべて信仰

キリスト教の理解について最も大切なものは

 

アガペー(神による無限の愛)を信じる

◯予定説(神の救済にあずかるものと滅びに至る者があらかじめ決められているとする)

 

「汝の隣人を汝のごとく愛せ」(レビ十九ー十八)

「心を尽くし・・・汝の神、主を愛せ」(申命六ー五)

 

「汝の隣人を汝のごとく愛せ」は皆さんご存知かもしれません。

この愛がアガペー。「LOVE」ではありません。無償の愛で、相手に価値がなくても好きになる。

ここでの隣人は「嫌な奴」も含みます。異民族、異教徒が同じ都市に住んでいても彼らと仲良くしなさいということ。しかし、どこまで愛せば愛したことになるのかはっきりとした規定はありません。

また万物の創造主で全能である神のことも無条件で愛する。

神が人類を救済しようとする意思(愛)を持っているから、その愛にこたえて、われわれ人間も神を愛し、互いに愛し合わなければならない。

 

聖書の大部分の書簡(手紙)を書いたとされるパウロイエス・キリストが十字架で死ぬことによって、本来罪人である人間の「罪を贖ってくださった」から、人間は神の前で義しい(ただしい)者とされとされ、神の恩恵(grace)を得て救われる、と説明する。

日本のクリスチャンとして有名な内村鑑三は、この贖罪を説明して「これはまた非常に奇態な教義でありまして、多くの人々をつまづかせるものである」と言い切っている。

 

「他人の罪の責任を負わせるなどということができるのか?」

人類がキリストに罪を転嫁するというそんな無責任なことを神は許すのか?という疑問は残る。

 

内村鑑三 - Wikipedia

 

 

予定説

予定説というのは「誰が救済され、誰が救済されないかということは神が一方的に決めて必ずそのとうりになる」

これがキリスト教の根本原理である。キリスト教を「究極に突き詰めて行く」とこうなる。

これはものすごく理解が困難で、生まれたときからのキリスト教徒にもほとんどの人には理解できないという。

神というものは「不公平なものであるということ」をキリスト教徒は理解しなければならない。

 

予定説 - Wikipedia

 

宗教改革の指導者であったジャン・カルバンの中心教義が「予定説」

もちろん彼が突然言い出したのではなく、聖書が元になっている。

「公平・不公平」「善・悪」というのは人間の判断でそれで神を批判してはいけない。

パウロの「ローマ人への手紙」をみると「ローマにいる、神に愛され召された聖徒一同へ」(第一章)宛てられている。

「召された」ということは神に選ばれたということで、自ずから信仰心が起きる。そうでない人は神に見放されたことになる。これが「予定説」

 

つまり「福音」神の教えを聞いて信仰することは「予め予定された」ことであり信仰することができるということは「神に選ばれている」ことになる。

 

仏教では「因果律」というものがあり、良い原因があれば悪い結果がでるとされている

しかしキリスト教にはこれが無く、古代ユダヤの預言者たちは神のお告げに従っていても必ずしも幸せでは無い。しかし「幸福」というのも人間から見た「尺度」である。

 

「神」というのは「絶対」なので人間がお祈りしたからといって「右に行ったり左に行ったり」しない。神に祈っても結果は変わらない。しかし「それでも祈る」のである。

それが「信じる」ということになる。

日本人なら自分のためにならない神様なら拝まない。日本人は、神は人間の僕(しもべ)と思っている。

 

旧約聖書の「ヨブ記」には潔白で信仰心の篤い富豪ヨブが彼の信仰を疑うサタンと神との論争から試練を与えられ、家族の死や難病を病む羽目に陥らされた。

ヨブを慰めにやってきた三人の友人は、因果応報主義を前提として、ヨブの不幸を、

「ヨブは完全な善人のように見せかけながら、隠れてどこかで悪行をしているに違いない」といいたててヨブを追及している。

 

これは現代にも当てはまるもので

「不幸があったなら原因がある」というのが因果律の考え方でこれは仏教的で

逆に言えば「現在不幸なのは過去に悪いことをしたから」となる。

これと逆がキリスト教の「神羲論」であっていわば神は「試練」を与えるものであって

つまり、今は身分が低くて貧しくても、厳しく信仰を守ってゆけば地上において神の国が実現した時に真っ先に入ることができる、というものである。

 

奇跡

キリスト教で忘れてはいけないのが奇跡。

病人を治し、死者を甦らせ、水の上を歩くなど。これらを信じなければならない。

そしてイエスの復活。

これらは超能力やオカルト現象がありえないとする考え方なのです。

 

神の国

愛が実現され、神と人々が和解して(罪を許されて)生きる新しい世界が、神の国

これは裁きの日のあとに訪れるもので、そこでは人々は、天使のように性別なく暮らし、地上の富をいささかも必要とせず、「永遠の生命」を与えられる

神の国についてはイエスは断片的にしかのべていない。)

 

 パウロの思想

《未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう。しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい》と言います。カトリックの聖職者(神父)が独身なのは、このため。

 

二王国論

エスの「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ」という言葉があり、魂を支配する教会と、地上を支配する世俗の政治とは別であるという考え方。

多民族のヨーロッパにおいて国はバラバラになっても教会は一つでいい。西ローマと東ローマに国が別れて教会も東西に別れてもお互いキリスト教であると認め合っていた。これが民族ごとの国民国家を作り、地上では国民主権は絶対でありうる。さらにその主権を市民が奪い取っても良い。

ここまでいけば民主主義ができる。これが近代国家の基礎になった。

そして思想の自由、言論の自由の基礎になりました。

教会と国家は独立しているので教会が言論で権力を批判してもいい。言論のことは言論で決着して権力を介在させない。こういう習慣から自然科学が起きる。

 

資本主義の発生

キリスト教、なかでもプロテスタントに特有の「禁欲」の考え方が、資本主義の成立に不可欠だったと言われています。

「禁欲」すなわち欲望を否定したはずが、反対に、利潤追求を目的とする「資本主義」を生んでしまった、とマックス・ヴェーバー(Max Weber)が分析しています。

 

まとめ

実はキリスト教も様々分かれており、教義の違いがある。

有名な「原罪」という考え方(アダムとイブが蛇にそそのかされて善悪を知る知識の木のみを食べてしまい楽園から追い出され、また死というものに怯えるようになった)があるがこれは正教会ギリシャ正教ロシア正教など)は言及していない。

しかし日本人にはカトリック教会(西方教会)、プロテスタントが最も馴染みがあるだろう。有名なローマ法皇が所属しているのがカトリック教会。

 

日本人には非常に難しい教義と思います。

日本のクリスチャンはほとんど「神父・牧師さんの人柄に打たれて入信する」というもので「キリスト教の教義を解りやすく教えてくれたから」というものは聞かない。

日本人には向いてない宗教と思います。

 

イスラム教は興味津々だったので勉強していたが正直キリストは馬鹿にしていたので苦労しました(笑)。

しかし慎重には書いたので大丈夫とは思います。

 

参考

日本人のための宗教言論 小室直樹

世界がわかる宗教社会学入門 橋爪大三郎

 

 

 

 

イスラム教ってどんな宗教!? 坊さんのどうでもいい雑学

皆さんはインドネシアやマレーシアなどイスラム教の国に行かれることも多いと思います。イスラム教というと怖いイメージも多いかと思います。今回はそんなイスラム教を僕なりにご紹介します!

 

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イスラム教といえば「豚肉を食べるのは禁止」「お酒を飲むのは禁止」など色々決まりが多いのは皆さんご存知と思います。

その決まりは「戒律」と言われてイスラム教は様々な「具体的な」戒律があります。

できるだけご紹介しましょう。

 

イスラム教は宗教の手本

イスラム教はやっていいことと悪いことがはっきりしていてそれを守っていれば「イスラム教を信じている」ことになり緑園(天国)行きが約束されるため他の宗教に比べて「分かりやすい」という特徴があります。

イスラム教が分かれば他の宗教も分かりやすいです。

 

『五つの柱 』(アルカーン・アルハムサ)

1 信仰告白(シャハダ)

アッラーの他に神なし。マホメットはその使徒である。」と、絶えず口に出して唱えなければならない。はっきりと信仰を表明しなければならない。

 

2 礼拝(サラート)

皆さんご存知の礼拝。ちなみに仏教では(らいはい)と読みます。

イスラム教徒の一日は礼拝に始まり、礼拝に終わる。

夜明け、正午、午後、日没、夜半の五回。聖地であるメッカの方向に向かい、定められた手順で行う。特に金曜正午の礼拝は重要で、モスクに集まり、指導者に従って礼拝を行わなければならない。

宗派によっては3回の場合もある。

イスラム教には「聖職者」がいない。マホメット以外の指導者を認めないため。代わりに「イスラム法学者」がおり、コーランに書いてないことなどの判断をする。金曜日には指導者から政治的な話がある場合もあるようだ。)

 

3 喜捨(ザカート)

貧しい人への施し。仏教の施しは義務ではないがこちらは義務。

所得の40分の1と具体的に決まっている。集められて政府が分配する。税金の性質もある。ごまかすと全能のアッラーにバレてしまうのでごまかさないらしい。

またザカートの他にサダカという任意の寄付もある。所得の10〜15%。

感謝を強制することもできないしもらう側も卑屈にならない。

 

4 断食(ラマダン)

イスラム歴の第九月の間、信者は断食をしなければならない。「日の出から日没まで」

日が沈めば物を食べても良い。コーランには「その晩には妻と交わるがよい」とまで書いてある。しかし、昼間は飲み物さえ駄目で、熱心な人は唾さえ飲み込まないという。

例外は、病人や子供、妊婦は断食しなくていいことになっている。また、戦士や旅行者も除外対象。

またどうしても空腹に耐えられなかったら自動車に乗って近郊を小旅行すれば断食から逃れられる。この抜け道は決して「グレーゾーン」ではなく完全な合法。白である。

ここで問題なのは外的行動だけであり心の中は関係ない。

 

5 巡礼(ハッジ)

イスラム歴の十二月、ムスリムの巡礼者たちは聖地メッカのカーバ神殿を中心に行われる儀式に参加する。イスラム教徒の成人は、一生に一度は巡礼を行うべきとされている。これは「自発的義務」であって規範ではないので巡礼を行わなくても緑園(天国)には行ける。しかしイスラム教徒はこぞって巡礼し巡礼をしたものは特別な尊敬をされる。また代理の人に巡礼を頼むこともあるという。

 

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 サウジアラビアのメッカに巡礼する。この時、金持ちも王族も、貧乏人も一緒でまた他国人も一緒なのでここでイスラム教徒たちの絆は国籍を越えて深まるという。また肌の色での区別も無い。あまりに人が多いのでテントなどに寝泊まりするという。

 

ハッジ - Wikipedia

 

これがイスラム信者の五大義務。

 

その他、賭け事、血を飲むことは禁止などがあります。

確かユダヤ教も豚を食べるのは禁止していたと思います。

 

緑園(天国)

これらを守っていれば緑園(天国)に行くことができ、緑が豊かで綺麗な川が流れていて様々な美味しい果物があり、いくら飲んでも酔わないお酒を飲める。金銀財宝にあふれている。

また絶世の美女(生娘)がお相手してくれて永遠の命を授かるという。

来世で贅沢できるので今は我慢しろということ。

 

六信

ムスリムたるもの六つのことを信じなければならない。

 

1神(アッラー

2天使(マラク)

3啓典(キターブ)

4預言者(ナビー)

5来世(アーキラット)

6天命(カダル)

 

一番重要なのは当然アッラー

アッラーは全知全能でどこにでもいて天地創造絶対神であると信じないといけない

そして九十九の美徳を持ちアッラーは完全にして欠点がない

 

アッラーフの99の美名 - Wikipedia

 

天使ジブリール(ガブリエル)はマホメットに神の御告げを伝えたと言われる

 

これらを全て信じなければならない。

「讃えあれ、アッラー、万世の主/慈悲ふかく慈愛あまねき御神/裁きの日の主宰者」

コーラン

 食事について

イスラム教やユダヤ教においては食物に対してさまざまな規制が設けられている。これもまた神の命令に基づくものであってそのルールは厳格。

食べてはいけないもの「ハラム Haram」

豚、肉食動物、爬虫類、昆虫、酒類などがある。

 

食べてよいもの(合法であるもの)「ハラル Halal」

牛、羊、ラクダ、ヤギなどの草食動物、さらにはニワトリやカモなどの鳥

ただしこれらの肉もイスラム教で定められた作法に従って処理されたものでなければ、食べてはいけない。

 

明確な規定がなく、ハラル、ハラムのどちらとも、にわかに決めがたい食品があり、

「マッシュブーフ Mushbooh」という。これは「疑わしい」という意味。

このハラル、ハラムにも決められないものについてイスラム法では

「敬虔なるイスラム教徒なら食べない」としている。

 

ここで「やっぱり食べてはいけないのだ」と判断しては大間違い。

正解は「食べても罪にならない」

 

他宗教にも慈悲深いアッラー

コーランに「宗教に強制なし」と謳ってあり、イスラム教では人間を「異教徒である」という理由だけで殺しはしない。また、異教徒に対して、イスラム教への改宗を強制したりもしない。

オスマン帝国ギリシャ正教の総本山のあるコンスタンティノープル(現イスタンブール)を攻め落としたがオスマン帝国ギリシャ正教の存続を許したし、また領内のキリスト教徒の信仰も許した。条件付きだが教会の自治権も認められた。

 

ギリシャ正教 - Wikipedia

 

また、キリスト教に徹底的に迫害されたエジプトに興ったコプト教も残った。

イスラム教からも容認しがたい教義のコプト教であったがイスラム教はこれを容認した。

 

コプト正教会 - Wikipedia

 

 

まとめ

ご覧のようにイスラム教は様々な規範が「具体的に」定められている。

これは日本人の最も苦手なところであり、「内心の信仰」を重視するキリスト教は日本に多少広まったがイスラム教はほとんど広まらない。

日本仏教仏教の「戒律」も独特のものに変えてしまった。

このように「外的行動」を重んじるからキリスト教では「隠れキリシタン」は成立したが「隠れムスリム」は成立しない。

 

また、イスラム教国ではイスラムの戒律ががそのまま社会の規範であり、「国家」の法律である。信者の行動の全ては「イスラム法」によって定めれれている。

 

イスラム教は現在世界中で爆発的に広まっている。これからも増えるだろう。

イスラム教について多少は知っておいて損はないと思う。

 

 

 

私見 お葬式って何してるの? (禅宗の一例) 坊さんのどうでもいい雑学

今回皆さんが疑問に思われているだろうお葬式について。

はっきりいって何やってるか解らないと思います。

ちょっと長くなりそうだけどご紹介します!

 

仏弟子になる儀式をする。

基本的には亡くなった方のために代わりにお経を読んであげる。

仏弟子としての名前を授ける。

仏様に成仏をお願いする。

故人が迷わないように導く。

 

こんなとこです。

具体的にみてみましょう。(あくまで一例です)

 

 

1 剃髪偈(ていはつげ)

まず仮に髪とひげを剃ったことにします。頭を丸めたことにします。

得度時(仏門に入る時)に読む偈

 

剃除鬚髪(ていじょうしゅほつ)

当願衆生(とうがんしゅじょう)

永離煩悩(ようりぼんのう)

究竟寂滅(くぎょうじゃくめつ)

 

意味としては

髪とひげを取り除き

まさに命のあるもの全てに願う

永く煩悩を離れて

究極の悟りの境地に行きますように

 

といったところでしょうか?あくまで私訳です。

これを3度唱えます。3度目に後半2列を

浄利煩悩(じょうりぼんのう)

究竟安楽(くぎょうあんらく)

と変えます。

 

煩悩がよく清められて

究極の安楽に達するように

 

2 懺悔文(さんげもん)

ざんげもんではなくてさんげもん

ざんげはキリスト教等の言葉で仏教ではさんげと読みます。

 

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)

皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)

従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)

一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

 

私が過去に行ったあやまちは

全て始めもわからない深い貪り(むさぼり)、怒り、愚かさ(三毒)によります

身体の行い、口の行い、心の行い(三業)から生まれ起きたものです

全てを今、悔い改めます

 

これも3回読みます。

 

3 三帰戒

3つのよりどころに信仰しその教えに従います

 

南無帰依仏(なむきえぶつ)

南無帰依法(なむきえほう)

南無帰依僧(なむきえそう)

帰依仏無上尊(きえぶつむじょうそん)

帰依法離欲尊(きえほうりよくそん)

帰依僧和合尊(きえそうわごうそん)

帰依仏竟(きえぶっきょう)

帰依法竟(きえほうきょう)

帰依僧竟(きえそうきょう)

如来至真等正覚(にょらいししんとうしょうがく)

是我大師我今帰依(ぜがだいしがこんきえ)

従今以往称仏為師(じゅうこんいおうしょうぶついし)

更不帰依邪魔外道(こうふきえじゃまげどう)

慈愍故(じみんこう)

慈愍故(じみんこう)

大慈愍故(だいじみんこう)

 

 意味としては

絶対的に仏様を信じます

絶対的に法(仏教)を信じます

絶対的に僧(お坊さん)を信じます

仏を一番尊いと信じます

欲を離れる仏法を信じます

僧の教団を信じます

究極の仏を信じます

究極の仏法を信じます

究極の僧を信じます

如来は最高の真理である悟り(正覚)であり

これが私の大いなる師であり

私は今、これを信じます

今より仏を師として従う

慈しみ、憐れむが故に

 

これも3回唱えます

最後の慈愍故にはあまり意味が無いようです

 

この後戒名を授けます

昔から人の(実名)は呼ぶのを避けられ、尊敬する人の名は直接は呼ばれませんでした

仏弟子としての名ということと諱(いみな)ということです

昔は本名を知られると呪いをかけられると信じられました。名前がその人そのものと考えられていました。

 

4 戒名を読んで授与します。

 

回向(えこう)「伏して願わくは今より以後、仏を称して師となし深く禅定に入りて十方の仏にまみえんことを」

 

謹んで今から仏を師として宣言して深く雑念を退けあらゆる仏にお目にかかることを願う

 回向とはお経を何の目的であげるか目的を唱えます。

 

5 お経 お経についての解説はまたの機会に うちの宗派ではお葬式が終わるまで「般若心経」は読まないことになっています

 

6 十仏名

仏様の名前を唱えます。10仏名ですが10人ではありません。

 

清浄法身毘盧舎那仏(しんじんぱしんびるしゃのふ)

円満報身盧舎那仏 (えんもんほうしんるしゃのふ)

千百億化身釈迦牟尼仏(せんぱいきゃしんしきゃむにふ)

当来下生弥勒尊仏 (とうらいあさんみるそんぶ)

十方三世一切諸仏 (じーほうさんしいしいしふ)

大聖文殊師利菩薩 (だいしんぶんじすりぶさ)

大行普賢菩薩   (だいあんふげんぶさ)

大悲観世音菩薩  (だいひかんしいんぶさ)

諸尊菩薩摩訶薩  (しそんぶさもこさ)

摩訶般若波羅蜜  (もこほじゃほろみ)

 

七人ですね。

びるしゃなぶつ

るしゃなぶつ

しゃかむにぶつ

みろくぼさつ

もんじゅぼさつ

ふげんぼさつ

かんぜおんぼさつ

 

今とだいぶ読み方が違いますがこれは禅宗が「宋」(南宋)から伝わった為に中国読みをそのまま使った為と思われます。

毘盧遮那仏盧舎那仏は同じのようです。(詳しくないw)奈良の大仏で有名なのがこの仏様。

釈迦牟尼仏 お釈迦様ですね。仏教の開祖

弥勒菩薩  未来仏

文殊菩薩  智慧第一

普賢菩薩  あまねく賢い。理性第一。女人成仏のお経に登場。

観世音菩薩 観音様。昔からあらゆるものに姿を変え身近に助けてくれると人気。

 

これも3回読みます。

 

回向「伏して願わくは神は浄域を超え業は塵労を謝し蓮は上品の華を開き仏は一生の記を授く。再び大衆を労して念ず」

 

神は「しん」と読みます

 

7 引導法語

ここで立ち上がり引導。よく引導を渡すと言いますがここではこの世に対する未練を断ち切って安心して旅立てよということで

故人の人柄

故人の人生の紹介

何年生きたか

故人の俗名

授与した戒名

などを改めて読み上げます

ちょっとした有名な句など読んで「喝」

「喝」自体は特に意味は無く昔、中国の臨済禅師(りんざいぜんじ)という人が「喝!」と弟子たちを指導して正解も喝、間違いも喝ということで一日三千喝とも言われていました。

日曜日に某番組で野球解説者が「喝!」とやっていますね(笑)。

 

この後、弔電披露、焼香って流れです

焼香時は大体「観音経」を読みます。

妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五という長めのお経を読んでまた回向で葬儀式終わりです。

 

まとめ

駆け足ですが自分なりにわかりやすく書いたつもりです。

なかなか話すには長いのでまとめてみました。

不備があればお許しください。

あくまでも禅宗の葬儀の一例の流れです。

ありがとうございました!

 

 

 

名僧紹介 良寛(りょうかん)さん 坊さんのどうでもいい雑学

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良寛さんは江戸時代後期(1753〜1831)の曹洞宗のお坊さんです。

越後(新潟県)の人。

個人的な印象では新潟の方は信心深いと思います。

名主の子供に生まれましたが18歳でいきなり出家。

子供の頃に勉強を学んだ地元の寺で修行の後、岡山県でさらに修行。

岡山で12年の修行の後、48歳に新潟に帰り五合庵と名付けた粗末な家に定住する。

 

良寛 - Wikipedia

 

五合庵とは「一日五合の米があれば他には何も望まない」と名付けた。

生涯清貧のお坊さんで書・和歌の名人。

一日中子供たちと鞠付きで遊んでいたというエピソードが印象に残っています。

一休さんもそうですがこうやって庶民と共に生きたお坊さんは昔から人気があります。

生涯寺を持たず、庶民に慕われ、仏の教えを広めて質素に暮らしたそうです。

まあ清貧も実際は大変ですが。

 

居間の床下に筍を発見した良寛は筍が伸び伸び成長できるように床板を取り除いてやったというエピソードが有名です。

 

また、地元で大きい地震があったのを心配した友人が手紙をよこした時に

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」

と返事した。

さすがに良寛和尚の悟りがここに伺える。

 

「病気、老衰、苦痛が妄想にすぎないことを自覚すれば、それらはすぐ消える」、すなわち、実在論(人間の外にものが実在する説)は妄想にすぎないと自覚すれば、実在は消える。つまり、「欲望は実在しない。それは妄想にすぎない」ことを自覚すれば、一切の煩悩は消え、解脱して「涅槃」にいる。

 

まとめ

このシリーズ続けていきたいです。ありがとうございました。

 

 

私説 宗教入門 坊さんのどうでもいい雑学

ついつい私はみなさんに一定の宗教理解があると思ってブログに書いてしまうのだが私だって仏教以外は詳しくは無い。

今回は宗教の基本をおさらいしてみよう。

なお、宗教というのは非常に難しいのでざっと私なりの解釈(私説)でまとめてみた。

 

なぜ宗教が必要なの?

まず、この問いが日本人らしい考えで宗教が全くわかってない証拠。

キリスト教で言えば最初に神がある。キリスト教というのは神であるイエスの教えである。何よりもまず神が先にある。神が説いた神の命令、すなわち法がある。

これが「神前法後」という構造。世界は神が作ったものであり神がなければ世界も存在しない。宗教があるのは当然のことなのである。

つまり宗教はもともとあるものなのです。

 

これと逆に仏教は「法前仏後」

仏教でいう「法」(ダルマ)というのは客観的に存在していたものであって、行為の規範を示し、慣例、風習、義務、法律、真理、教説など、さまざまな法則を指している。

自然法則も超自然法則も釈迦が発見して衆生に伝えたのであるから、釈迦が発見しようとしまいと「法(ダルマ)」というのは厳然としてそこにある。だから釈迦の教えが正しいのは、本当の法を発見したから正しいのであり、釈迦自らの教えだからでは無い。

 

啓典宗教(けいてん)

これはイスラム教徒による宗教分類であるが便利な分類。

宗教には啓典宗教とそれ以外がある。

「啓典宗教(revealed religion)」とは啓典(正典=canon.kanon.)を持つ宗教。

ユダヤ教キリスト教イスラム教は啓典宗教。

 

仏教儒教ヒンドゥー教道教、法教(中国における法家の思想)などは啓典宗教ではない。

 

「啓典」とは、最高経典のことである。

「啓典」は、絶対であるか、ほとんど絶対である。

 

イスラム教における『コーラン』(クルアーン)、キリスト教における『福音書』(『新約聖書』の「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の四福音書)、ユダヤ教における『トーラー』(モーセ五書。『旧約聖書』の最初の五巻。すなわち、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」)は啓典である。

 

簡単にいうとユダヤ教が「旧約聖書」、キリスト教が「旧約聖書新約聖書」、イスラム教が「旧約聖書新約聖書コーラン」を重んじており、イスラムではモハメッドが最後の「預言者」でありコーランが一番新しい「神との契約」であり「一番正しい」と考えている。

もちろん旧約聖書というのはキリスト教など他の宗教からみた言葉。

ユダヤ民族しか救わないしユダヤ民族全体を救う。

旧約聖書 - Wikipedia

 

新約聖書 - Wikipedia

 

啓典宗教は、存在論、すなわちオントロジー(ontojogy)に貫かれている。啓典宗教であるキリスト教イスラム教、ユダヤ教においては、神の存在が最大の問題なのである。

キリスト教の神学テキストなどには「神の存在の証明」にとても膨大なページが割かれているそうです。

この「新約」「旧約」というのは「神との契約」ということで、この契約は神からの一方的な契約で旧約聖書では契約を破ると神はイスラエルの民を鏖(みな殺し)にしようとしてモーセの必死の説得によって思いとどまっている。

神からの言葉を預かるから「預言者」というが預言者にはなんの資格もなく産まれる前から預言者に指名されていた者もいる。これを「予定説」という。

 

ちなみにユダヤ教キリスト教イスラム教は同じ神様を信じており、またイスラム教でも、アラブ人の先祖は、アブラハムの子イシュマエルとしている。

アブラハムイスラエル人の祖でありイスラエル宗教の原点である。

 

 

まとめ

以上で多少は宗教についてお分りいただけただろうか?もちろん私の勉強も十分ではない。

ハワイなどで教会で結婚式をあげるときに宣誓をするが誰に誓ってるのか?

答えは「神に誓っている」のであって妻、夫に誓っているのではない。だからカトリックでは基本的に離婚を認めない。「神との契約だから」

欧米が契約社会というのは皆さんご存知と思うがここから来ている。

イングランドのヘンリー8世が離婚したいためにカトリックからプロテスタントに改宗したのは有名な話。

ヘンリー8世 (イングランド王) - Wikipedia

 

またアメリカ大統領の就任式で宣誓の時に聖書に手を置いて宣誓しているのは皆さんご存知だろうか?

 

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 yahooニュースより。

 

アメリカの田舎に行けばまだほとんどの人が聖書の内容をそのまま「事実」として信じているという。水上歩行も死者の復活も。

business.nikkeibp.co.jp

日経ビジネスオンラインより

進化論を信じる人が過半数越えということは残りの人々はまだ「神が人間を造った」と信じているのである。合理的精神を標榜するアメリカでさえこれが現状だ。

海外で「無宗教」というと共産主義者かかなりの「何をしでかすか分からない」変わり者とされるそうです。

基本的に宗教は「生きている人間のもの」である。