名僧紹介 隠元隆琦(いんげんりゅうき) 坊さんのどうでもいい雑学

前回の良寛さんは前から紹介したかったのですが意外と二人目は誰にしようか悩みました。今回は隠元さん。

 

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江戸時代初期に中国から来た帰化僧で宇治の萬福寺(まんぷくじ)を開いたとして有名です。

 

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萬福寺 - Wikipedia

 

萬福寺といえば本場の中華風普茶料理(ふちゃ料理 精進料理の一種)がいただけることでも有名です。

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この右下のものは「擬うなぎ」と言って精進料理としてはメジャーで僕も修行時代に作りました。

www.obakusan.or.jp

 

萬福寺のふちゃりょうりで満腹寺?で覚えやすいですね(笑)

 

萬福寺黄檗山(おうばくさん)萬福寺といって黄檗宗(おうばくしゅう)の本山になっています。もちろん隠元禅師は大変に優秀な僧でしたが江戸時代にはすでに「檀家制度」がしっかりと出来上がっていましたので「黄檗宗」の入り込む余地はあまりありませんでした。そのため禅宗の中でもあまり知られていません。

 

しかし、あまりに優秀で徳の高いお坊さんだったので既存の本山が隠元禅師を住職にしようとしたと記録にあります。そして当時の幕府はその勢力を大変恐れたようです。

 

鎌倉時代禅宗は中国は「南宋」時代でしたが隠元の頃の中国は「明」時代です。このため黄檗宗のお経は発音などが微妙に違い面白いです。

 

もちろん他の禅宗と元は同じでしたがお経の読み方、儀式の作法などが違ったので別物とされました。

 

隠元隆き - Wikipedia

 

そして皆さん気づかれたと思いますが隠元さんの名前は「インゲン豆」の名前の由来と言われています。

 

隠元が来日した際に日本に持ち込んだため、その名が付いたとされる「インゲンマメ」は、中南米原産のマメ科の作物。ヨーロッパに伝わった後、ユーラシア大陸を横断して中国から日本に伝来した。但し、隠元が持ち込んだのは、現在の「フジマメ藤豆)」だという説もあり、関西ではフジマメのことを「インゲンマメ」と呼ぶ。

                           wikipediaより

 

黄檗とは黄蘗色(きはだいろ)のことで昔は虫除けの効果があるとしてお経の本などがキハダで染められてました。今でもお経の本は黄色の紙を使っています。鮮やかな黄色です。

 

まとめ

隠元さんは中国でも黄檗萬福寺の住職で日本に招かれました。弟子を20人連れて来たと言われています。もちろん日本にまで名前が知られてたとても優秀な方です。

平安・鎌倉時代に中国に渡ったお坊さんももちろん当時の「エリート中のエリート」でした。仏教は学問でもあったわけです。

 

当時は中国の最先端の文化を持ち込むという意味もありました。お茶を飲む習慣なども鎌倉時代中国から伝わりました。

同時に中国独特の宗教観や考え方、風習なども伝わり日本の常識になりましたがこれは元々の仏教とは関係ないお話も多いです。

 

読んでいただきありがとうございました。